実家の母が押し入れの整理がしたいというので出かけてきました。
2けんの押し入れの戸を開いて現れたのは、天井までぎっしり詰め込まれてた布団の山。
大きなあずき色の風呂敷がしっかりぶせられていて、まるで流し込んだ羊羹みたいです。
「どれを投げる(捨てる)の?」
「とにかく出してみてよ」
まずは敷き布団から、むんぎゅとつかんで、一枚ずつ引っ張り出しました。
「こりゃまた古いわね、投げる(捨てる)しょ」
レトロな柄した昔の布団は重くてしかもぺったんこ。
「だめだよ、それは高かったんだよ。必死で月賦を払ったんだから」
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「これは?シミ付いてるし」
「だ〜めだって、それ、あまり使ってまいんだよ。あんたが小学生の頃に金市館(デパート)に行って買ったべさ、いたましい(もったいない)べさ」
それから、ベージュ色した羊毛の毛布も、何枚もでてきました。
古いものには見慣れてはいるけれど、これもしっかり60年は過ぎていると思うわ。
今でも十分使えるとはいえ、ふんわり軽い毛布に慣れてしまった現代人にとっては、ずっしり重い毛布は寝苦しく感じちゃうもね。
「これはどうするの?」
「しまっておいて」
最後に、爺ちゃん(父)が介護されていたときのタオルケットやバスタオルがでてきました。
ささくれ立っていて、かすかなシミが残っていているのは、母が何度も何度も洗濯をしていた証です。
「これは投げようよ」
母は少し考えてから、
「そうだね」と言いました。
結局、ほとんどのものが押し入れに戻りました。
押し入れに積まれた布団の高さは、母の幸せの棒グラフです。
そのグラフが98%とすると、ウチの婆ちゃんの押し入れも98%ぐらいかな。
とすると我が家の押し入れはそうね75%くらいかしら。
そろそろ、布団圧縮袋の出番だね。
実家の押入れもまったく同じ状態ですね。
古くて重い羊毛の毛布もありましたよ。
お布団は打ち直せばまたふんわりするとは思うけど…
今は軽くてあったかいお布団の時代ですもんね。
羊毛の毛布って重いだけじゃなく、チクチクした記憶です。
敷物で使うか、室内履きでもこしらえるか・・・。
今は見ないふりしてるけど、出せばきっと悩みます。
うわぁ~、金市館って懐かしいなぁ~
久しぶりに聞きました。あったよねぇ~
店の感じとかは全然思い出せないけど…
今まさに私も施設に入居した女房の両親の実家の片付けのため8月から一週間おきに道南に通ってます。
いざ片付けを始めると「布団」と「食器」の多さにビックリです。
さして大家族でもないのに「なぜ?」と。
あと2回ほど通えば終わりそうですが、もう機械のように処分しています。ひとつひとつ確認してると終わりそうもないです。
ぽぷらさんが助け舟してくれて
きっと 押入れあけて ため息ついて又 しめていたお母さんは
少しだけでも身軽になれて ほっとされていることでしょう
お疲れ様でした
私の母も 物を捨てるのが苦手(私も似ているので同じです)
服なんかも いっぱいあります 私は昔の服だけでも時代遅れでだし?捨てようと毎回 母に言うのですが 自分の親が買ってくれたものだから捨てたくないの ずっと大事にしたいと言うのです 汗
だから いつもそのまんま 減らずに服の山なんです 大汗
私が嫁ぐ時 母から花嫁衣裳で着た帯を貰ったのです 古い帯ですが刺繍が綺麗で色んなお花や縁起物の鶴や御所車などついていますずっとタンスの肥やしになっていました もう18年 陽の目を見ず可哀想?と思いアイデアが浮かびました 帯をほどいて繋げてもらい裏地をつけてテレビのカバーと(埃がかぶらないように)壁に飾れるタペストリーを洋服の直し屋さんで提案し作ってもらいました
こうでもしないと・・いまもなおタンスの肥やしとなってました
もみじさんへ
そうそう、チクチクしますね。
もう随分と、あの肌触りを忘れていました。
敷物か、荷物を運ぶときの保護とか、そんなふうになってしまいそうです。
私もやっぱり、見ないふりでしまうと思います。
ゆうさんへ
今はもうない金市館。知ってらっしゃるんですね。嬉しい!
庶民のデパートでしたね。
翔 さんへ
こんにちは。
「布団」と「食器」の多さに・・・・
本当にお疲れさまです。
まったく実家もそのとおりです。
今は使わなくても、『誰かが来たら使う・・・』ということで、いつまでもおいてあります。
自分もそうなるのかしらと思ったりもしました。
そういう意味で、勉強になります。
すみれさんへ
物を捨てられない理由は、まさにすみれさんがおっしゃった事が理由だと思います。
捨てられない物は、物ではなくて、大切な思い出だからですよね。
その思い出が捨てられるのはイヤだもの。
そう思うと、母の気持ちがよくわかります。
タンスの肥やしでもいいかな思いました。