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正宗さんから頂いたコメントで思い出した写真があったので再登場。
道庁赤レンガ内の資料室に展示されていた、『諸藩分領支配図』です。
もともと住んでいたアイヌの人たちにくらべて、本州から集まってきた人たちは、慣れない北海道の厳しい冬に、次々と命を落としていったそうです。
この図によると、金沢藩は礼文島、宗谷など、北海道の北の果てを。
熊本藩、名古屋藩は東の果て、根室に来ていたのですね。
実際には、他にもいろんな藩や開拓団の人たちが、入れ替わり立ち代わり、やってきていました。
伊達藩は、この図に示されている他にも多くの地域に開拓のクワをおろしましたそうです。
登別の伊達市もその名残ですね。
正宗さんのお話によると、私の住んでいる手稲区にも伊達藩の開拓の手があったとか。
今更ながらお礼いたしまする。感謝感謝・・・
北海道の気質は、習慣にとらわれないとか、合理的とか言われるのには、こうした背景があったからではないでしょうか。
故郷を遠く離れ、北海道にやってきた多くの人たちは、きっと空を見上げて、故郷を思い出していたのでしょうね。
皆さんの藩の人は、北海道のどのあたりにやってきたのでしょう?
もし見つけたら、北海道のその地域に、思いをはせてみてはいかがでしょう。
(写真を2回クリックすると、大きな画像になります)
伊達藩はどこに開拓したのですか。前田は、加賀百万石前田家の牧場があった関係で地名が残ったのですが。ちなみに稲積は人の名前だそうです。
ぽぷらさんへ
感激です!!感謝です!!
歴史好きの正宗も、北海道に思いを寄せる時に参考にさせていただきます。
ところで、この分布図は北海道庁にあるのですね。
最近知ったのですが、東京駅創建時の姿に復元するのに宮城の”雄勝天然スレート”が使用されましたが道庁の屋根にも使用されていたようです。東京駅に使用されたスレートは東日本大震災で津波に流されたのをボランテアの方が一枚一枚拾って洗浄してくれた物で”奇跡のスレート”と言われております。
道庁周辺に行きましたらご覧ください。
震災では北海道の皆さんから温かいご支援を頂きましたが、開拓が縁で姉妹都市を結んでいる伊達市では亘理のイチゴ生産農家を温かく迎え、最初に生産したイチゴを北海道のお菓子屋さんが使用しくれたそうです。震災前はイチゴ生産全国10位だった宮城県ですが、亘理町は主生産地でした。
報道を聞いて涙が出ました。
この場をお借りして、あらためて北海道の方々に宮城県民としてお礼申し上げます。
チョイ悪爺ィや さんへ
伊達藩は、なんと、手稲区も開拓に入ったそうです!
知らなかったです~~。
どこかに、その子孫の方が住んでいらっしゃるかもしれませんね。
稲積は人名前だったとは知りませんでした。
稲積さん、だったわけですね。
調べてみると、ホント面白いです。
また教えて下さいね。
正宗 さんへ
正宗 さん、私こそ感謝感謝です。
恥ずかしながら、私、”雄勝天然スレート”って、初めて知りました。
ネットで調べてみましたところ、
なんて美しい屋根なんだろうと思いました。
なので、東京駅の”奇跡のスレート”のの話しを聞いて、とても感激しました。
道庁の屋根、今度絶対見てみます。
伊達市のイチゴの事はニュースなどで聞いております。
伊達は。北海道でも暖かい所で、イチゴ栽培にはとても適しているとか。
大きくて甘いイチゴができるそうですね。