PR
「昨日は葬式だったよ」
久しぶりに電話で話した岩手のおじさんは、切なそうに言いました。
「震災で流された人がようやっと見つかってさ」
その話しに、震災の事を、すでに過去のものにしようとしていた私のずるい心がビクリとしました。
「ほれ、もう、形なんてないからさ、似顔絵を書く専属の人がいてね、そういう人が似顔絵を書くわけさ。
最後に目を入れるんだよ。それを公民館に張り出しすんだけど、それを見た知り合いの人が ”もしや”っと思ったらしいんだよな。あとはほれ、DNA検査をして、やっぱりそうだったって事になったらしいよ。これで、流された家族全員の葬式がやっとできたってわけさ」
おじさんの声は、今だに暗い雲の下をさまよっているかのようでした。
なんだか切ない気持ちになりました。
それから、切ない気持ちだけで済んでる自分が、どんなに幸せなのかとも思いました。
似顔絵に入れられた瞳は、もしかしたら、自分を探しに公民館やってきた家族に「私はここだよ」と訴えて続けていたのかもしれないね。
ようやく家族のもとに帰れて良かったです。まだ見つかっていない方も沢山いらっしゃるんですよね。時間がたつと忘れがちになってしまう私も反省しなくちゃいけないですね。
以前話した映画 遺体 のことを思いだしました
家族全員いっしょの葬儀が やっとできたって
ほんと良かったですね
どれだけ待っていただろうと思いました
そしてまだまだ 見つからない遺体が沢山あるとも思いました
以前話した 遺体に話しかけることで その人の尊厳を取り戻してあげる行為 きっとこの方にもしてあげたんだろうなって?
やっと戻ってこれて良かったね これからはずっと皆一緒にいられるからねと・・・お盆の前に見つかるって?きっと見えない誰かのチカラが働いたのかも知れませんね
以前 NHKのドラマでゲゲゲの女房というのがありました
そこで 見えないけれど おるんだよ この言葉がすごく好きで
そんな風に思いました
へろへろさんへ
まだまだ、多くの方が、家族の元に戻っていないそうです。
一日も早く、戻られるように祈りたいと思います。
すみれさんへ
なるほど、見えないけれど、おるんですね。
私もそう思います。
絶対そうです。そうにちがいないですね。