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札幌から小樽までの汽車(列車)は、海が目の前、波打ち際を走ります。
ここは石炭を運ぶ事が一番の目的で、北海道で一番最初に開通した線路です。
札幌は、広い石狩平野が大半だけれど、私の住んでいる手稲のあたりから地形は岩盤でできた険しい山に変わります。
なので小樽までの道のりは、海岸線にそって波打ち際を歩くか、当時の山道を通って山超えするかしか方法はなかったそうです。
そんな状況の中での鉄道工事は、固い岩山をひたすら削るという大変な作業だったようです。
小樽(手宮)から札幌までの鉄道が開通した明治13年(1880年)の事でした。
私はいくらなんでもその時は生まれていないけど、50年前の記憶はありますよ。
石炭を積んでいる黒い貨車をいくつもつらねて、先頭の機関車に引っ張られ、小樽、手稲の町を通っていました。
貨車には石炭だけで、何もかぶせたりはしていなかったので、ガタゴトと揺れるたびに石炭が落ちる。
だから線路をたどると石炭がコロコロと落ちていました。
波打ち際をギリギリで走る列車から見える奇岩の風景は、今でも列車の事を”汽車”と読んじゃう私のような年齢の者にとっては、それだけで安心する風景なのです。
あらあら、そんな昔話を語っているうちに、小樽駅に到着しましたね。
小樽はガラス細工も有名だから、駅には沢山のランプが。
夜はこのランプに灯りがつくのですが、オレンジ色の灯りがそりゃそりゃステキです。
JR小樽駅前から見える風景。
正面に海が見えて、そこに、小樽運河があります。
今日は一日、旦那さんと小樽の町を散歩してきました。
雪が降って、すんごく寒かったさ。
だから、ラーメンも食べてきたよ。
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昔語りありがとうございます
ずっと前から昔の郷土物語を語ってもらえなくなってます
貴重な話を語られることはとてもうれしいことです
もっともっと多くの方がおられところでもぜひとも語って上げてください
貨車からこぼれおちた石炭を拾う子供たちはいなかったのでしょうか
落ち穂広いほどの魅力なかったのですね
沿線は豊かだったのですね
私のの御幼少のころとは違ういい環境ですね
今日も幸せなひと時をお二人で過ごされましたですね
幸せいっぱい!!!!!! 溢れてました
いいなぁ仲良し夫婦 今日は汽車で小樽散歩ですか ラーメン屋さんもいいなぁ~♪
私も いつも↑そうでありたいと思っています
小樽へ行く海沿いの場面は たまらなく好きです(いつも実家の浜辺を思い出し懐かしくなります)
駅内の頭上には このランプすぐ目に入りハイカラな演出ですよね ため息ついちゃう!
昔の人は小樽へ行くのに山越えしてたのか?と・・考えたら?すごい体力ですよね 1日で行けたんでしょうか(お弁当持参で途中 休憩しながら握り飯など食べて)頭が下がります
小樽には何度も行っていますが、汽車で行ったことがないので駅の様子は知りませんでした。
ガラスのランプがステキですね。
北海道を離れてもうすぐ10年ですが、道産子の私は今でも「汽車」と言ってしまいます。
ちなみに本州出身の主人には「今はもう蒸気機関車じゃないんだから」と、突っ込まれます…。
t22t さんへ
t22t さんには、情景がよくごおわかりのようですね。
おっしゃる通り、石炭を集めていた子どもがいました。
大人の集めていました。
これが、けっこうな量になったと思います。
時々、あちこちを見て回るのもよいものですね。
すみれさんへ
本当に昔の人は大変だったと思います。
山越えは、山賊もでたそうですよ。
一日で行けたのかしら、もっと話を聞いておいたらよかったなあと、今頃になって思います。
小樽駅のランプはとても奇麗ですよね、おもむきがあって、私も好きです。
まいけるさんへ
北海道を離れて10年になられるんですね。
でも、汽車って言わさっちゃうのはしかたないですよね、道産子だもんね。
小樽の駅は、ホームにもランプが灯りになっているので、夜もステキですよ。