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バレーボール「東洋の魔女」の主将、中村昌枝さんが亡くなったというニュースを見ました。
1964年の東京オリンピックの時、私は幼稚園児だったけど、あの時の興奮は今だに記憶に残っているのです。
体の小さな日本の選手たちが、手足が長くて大きなソ連の選手達のスパイクを、打たれても打たれても拾うんです。
遠くに落ちるスパイクでも飛び込んで、ボールを片手ではじいたあとに、柔道の受け身のようにクルっと回転して起き上がる。
これぞ秘密兵器、回転レシーブ!
東洋の魔女は見事に金メダルを獲得しました。
次の日から私はもう、布団の上で回転レシーブの特訓してたもね。
クルクル ドッタンバッタンと親に怒られても転がってました。
それからはバレーボールブームがやってきて、スポーツ根性ドラマ『サインはV』を見ながらドラマで登場する稲妻サーブの練習をしたり、テレビマンガ『アタックナンバーワン』を見ては主題歌に出てくるセリフ ” 涙が出ちゃう・・だって女の子だもん・・” なんて独り言を言ってました。
稲妻サーブはねすごいの。
コートでまず相手を目力でグっと視線を送ってから、いきなり後ろ向きになって、腕をグ〜ルグ〜ルグルグルグル〜〜っと回して反っくり返ってベシッっとボールを打つわけさ。
するとテレビ画面のボールがジグザグに変化して、相手の選手たちが手も足もでないうちにバコッ!!っとコートに落ちるというすごいサーブなんですぞ。
バレーボールは、当時の少女たちを とりこにしたんです。
2020年の東京オリンピックでは、どんなスポーツがブームになるか楽しみですね。
もしかしたら、今でも布団の上なら回転レシーブできるかも。
いや、やめとこ。
” 腰痛がでちゃう、だっておばちゃんなんだもん”
4歳なので東京オリンピックの記憶はないんです。でも小学生の時にやっぱりサインはVをみて、後ろ向きになって稲妻サーブの真似をしていました。アタックナンバーワンもみてましたよ。7年後の東京オリンピックは観に行きたいけれど、チケットをとるのが大変だろうなぁ。でもその場所でみたら、絶対に感動しちゃいますよね。
いまの日本のバレーを築き上げてきた方が亡くなられたということを知って・・話は違うのですが先日 亡くなられた作家 山崎豊子さんも 日本を代表する作家さんでドラマや映画化されているのが多く 私などは 沈まぬ太陽という映画を見て感動したものです
形は違うけれど 感動を与えてくれて・・感謝の方達ばかりです
東京オリンピック 楽しみは楽しみなのですが
現実を考えると 7年後 自分は いったい どんな しわくちゃな顔になっているんだろうと思うと・・・汗
魔女も死ぬんだなー。爺ぃやは「紅顔の美少年」の時、高校三年生で白黒テレビで応援をしていました。2020年に東京オリンピックが開催決定をした時、思い出しました。64年のオリンピックの時、東京への招待話が有り、5人中1名が当選との事でした。もちろん落選しましたが。次の年の40年に研修の為、「しょっぱい川(津軽海峡)」を渡り、東海道新幹線「〇系」に乗り、名古屋まで行きました。東京駅では当然「ひかり」号の前で記念撮影をした事を思い出しました。
へろへろさんへ
回転してましたか~!
懐かしいですね。
今度の東京オリンピックはそりゃそりゃすごい事になりそうですね。
私は見ぬ行く事はできないと思いますが。テレビの前で歓声をあげたいと思います。
時代を築いてこられた方々がいなくなってしまうのはとても悲しいですね。
大きな仕事をされた方はもちろん、身近な方々がお亡くなりになられるのも、寂しさを実感しますね。
チョイ悪爺ぃや さんへ
チョイ悪爺ぃや さんには色んな思い出が沢山ありそうですね。
あの頃の新幹線に乗ったのも、すごいですね!
夢の超特急でしたもね。
「紅顔の美少年」の時にお会いしていたかったですね。