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「散歩行くかな」旦那さんが言いました。
それじゃあ一緒に行きますか。
散歩と言うよりも運動不足解消ね。
「昔の家のあったあたりにでも行ってみるか」
旦那さんの育った家があったのは、手稲駅のすぐ傍だったそうで、時々離れた所から「あそこだよ」って聞かされていただけでした。
今はもう家々が立ち並び、道路も変わり、用事もないので行く事もありません。
「ここに踏切があってな、そのあたりに道路があったんだわ。そこのコンクリート屋の傍には昔、川が流れていたんだぞ」
当時は見渡す限りの畑の中に、ぽつんぽつんとしか家は建っておらず、現在とはまるで世界が違っていました。
仕方ないさ、50年間のタイムマシンに乗ってしまったんだもの。
小さな公園の角に立ち止まって、線路と、そばの住宅のあたりを眺めました。
「たしか、あのあたりだったような気がするんだけどなあ」
私の目には今の時間の景色しか見えないけれど、旦那さんは確かに、当時の風景を見ていました。
時間をグルグルと巻き戻すと、いつか見たモノクロ写真が現れました。
あらあら、きかんぼの男の子が生意気そうにしてる。牛舎に走って行って出たり入ったりしているわ。
あいつがきっと旦那さんだね、写真で見た男の子だ。
もんぺを履いて、こまごま働いている色白の女性は、若い頃の婆ちゃんかもしれない。
地上がどんなに変わってしまっても、その空間には確かに昔、存在していた暮らしがありました。
ただ、今の時間には見えないだけなのです。
私が子供の頃に育った木造の家の夢を見るように、旦那さんの記憶の奥にも、今でもちゃんと存在しているはずです。
そうそう、その記憶によるとね、そろそろ冬の準備のために、隙間だらけの木枠の窓に、ビニールを張る時期になったんじゃないかな。
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神奈川県の鎌倉で育ちました。実家は引っ越したので、そこには家が新しく4軒建ったそうです。一度は行こうと思っているのですが、懐かしいより寂しい思いが強くなってしまいそうで、怖くて行けません。
窓枠にビニール。
昔よく見ました!あ!小樽の祖母の家もそうでした。
手稲駅が丸太のロッジでしたよね?
小学生の頃、手稲山からスキーをはいたまま、手稲駅まで滑ってきました!
国道も滑走です。
今思うと、なんと無謀な!!
自分のことですが、子供の発想ってすごいですね^_^;
今年の気候、ヘンですね。
こちらは日中はいまだに夏日になり、扇風機が廻ります^_^;
冬に異常なドカ雪が落ちないことを祈ります。
昔の記憶は宝物のようですね。できれば写真1枚でもあれば消えかけていた記憶がもっとよみがえりますね。ご主人には、その頃の景色が見えていたのでしょう。・・・分かるなぁ。
子供の頃住んでた家はボロ家だったんでビニル張りましたよ。
あと軒先で大根干し&白菜干し!(10月だったかも)
大根は「つ」の時に曲がるまで干すんだよと
亡くなった祖母が母に漬物指南をしておりましたっけ。
へろへろ さんへ
わかります。勇気がいります。実際に行ってみると、あまりの変わりように寂しさだけが残りそうで怖いですよね。
思い出として、記憶の中から時々取り出してみる・・その方がいいのかもしれませんね。
ところで、私は来月、鎌倉にいくかもしれないんですよ。
へろへろ さんの故郷だんですね。
手稲っ娘 さんへ
私も小学生の頃、手稲山からスキーをはいたまま、家までかえりましたよ~!ちょうどよい緩やかな坂で、あっというまに下ってきましたよね~。
手稲っ娘さんも、滑ったんだ!なんだか嬉しいです。
ふくろうさんへ
ふくろうさんのたとえは素敵ですね、そうそう、宝石です。
誰もが、心の中に持っている、自分だけの宝石ですね。
もみじさんへ
「つ」の時!!そうなんですかあ。
なるほどねえ、「つ」の時・・・んん、納得です。
そろそろ近所のお宅でも大根を干しているお宅を目にするようになりました。でも、昔からみると、随分少なくなりましたね。
とってもいい時間を過ごしましたようですね!
ゆうさんへ
コメント有り難うございます。
時には、思い出を探す事もいいですね。