北海道・札幌発・だべさ通信5

2代目の手稲駅舎と馬車鉄道

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昔の手稲駅(札幌)の写真が新聞に載っていました。
上の写真は昭和9年にできたばかりの2代目の手稲駅。
線路側から撮影されたものだそうです。

 

そうそう、丸太で作られたログハウスふうだったっけ。
今考えてみると、おしゃれな駅舎だったんだね。
この2代目の駅舎からが、私の記憶に残る手稲駅です。
ショートヘアが可愛い女の子だったっけなあ~~

 

昔の手稲

 

手稲駅は、札幌 = 小樽(手宮) 間の開通と同時にできた駅で、最初は『軽川(がるがわ)』という名前で誕生しました。
当時の鉄道の主な目的は石炭を運ぶことだったので、最初は簡易停車場だったそうです。
新聞によると、現在の手稲駅の1日の平均利用者数は、北海道の他の主要都市、旭川・函館・小樽などの街を飛び越えて、札幌駅に継ぐ2位だそうです。

 

 

次に記事の下の写真。
汽車の車輛みたいに見えるけど、これは馬鉄(ばてつ)です。
つまり、動力は馬なんです。
よく乗ったしょって?
まあ時々ね・・・・なんて、そんな事あるわけございません!
馬鉄は昭和の始め頃のお話ですからね。
ま、せいぜい 1.2度くらいかな・・・・・って、違う違う!

 

手稲駅の北側は、今でこそ街だけど、当時は遥か彼方まで続く泥炭地でした。
泥炭とは石炭になりかけた粘土のような土で、地盤が弱い土壌です。
その広い土地の上にまーっすぐ線路が敷かれて、馬が客車を引いたのです。
正式には馬車鉄道と言いました。

 

ここに最初にクワを下ろした人は、今の手稲がこんなになるなんて想像もしてなかったと思う。
でも私たちは、少ない写真や記録から、当時の人も面影を少しは知る事ができる。
昔、自分の故郷に住んでいた人たちがどんなふうに暮らしていたかがわかると、
見慣れた景色が、いっそう大切なものに見えてくるね。

昔の手稲駅舎から現在の駅舎まで >>


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2 Comments

  1. t22t

    昔の写真とか記事と現在を比較して眺めることは、何故か心がホッとする雰囲気になるものですね 何故か郷愁感を味わいます

    この度も、比較写真だけでなく、歴史を書いておられるのが嬉しいです
    以前書かれておられた昭和から平成までの手稲駅の写真へのリピーターにもなりました
    歴史書をひも解く様でした

    我が故郷、尾道の駅前も様変わりしていますが、駅舎・ホームは昔のままです
    先日、新聞に取り上げられました
    駅舎を一新するために、隣接して仮駅舎を建てたとか建てたとか
    しまなみ海道の終始発地、ふさわしい駅舎にするそうです

    楽しみにしてます

    Reply
    1. ぽぷら (Post author)

      t22tさんへ

      t22tさんの故郷の駅も新しくなるのですね。
      建物に限らず、ものが新しくなるときは何かと最新のデザインにこだわるものです。
      でも、尾道にできる新しい駅舎は、その場所にふさわしい駅舎になるのですな。
      心遣いが、とても素敵だなあと思いました。

      Reply

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