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本州では春一番が吹きましたね。
ニュースでは飛行機が強い風で機体を大きく揺らしながら離陸する様子を映し出していました。
”ああ、春が来たんだ・・・ここにももうすぐ春がくる・・・春の足音が!!・・・そう思うと心の中は、すでに空を舞っているような開放感を感じる。
乗客の皆さんは おっかなかっただろうけどね。

 

 

こちら札幌はというと。
ふう〜〜寒い、西から横殴りの風。
また吹雪いているよ・・・・いやいや、春一番・・・・と思う事にしようか。
枯れ葉がみんな同じ方を向いちゃってるね。
帽子をかぶっていないと、髪の毛が目の前で大暴れ。

枯れ葉

 

 

手稲の駅前通りも、降った雪は舞い上がるし、雪が横から顔に貼り付いてくる。
クソ〜・・・こ、これも、春一番・・・・・・・・という事にしてやる。

手稲駅前通り

 

春一番とは、北日本と沖縄以外の地域で2月から3月にかけて、その年に初めて吹く南から吹く強い風のことだそうです。

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昔、海賊と言われた男が、手稲(札幌)に潜んでいたというお話です。
手稲区役所1階にある、手稲資料室で見た手稲の歴史の一部をご紹介します。

 

■ 事件の発端になった尼港(にこう)事件

その男の名前は『江連力一郎(えづれりきいちろう)』。
彼は陸軍軍曹で、柔道、剣道、空手など、武術を極めた人物であった。

ときは、大正9年、日本軍がロシアシベリアに出兵中、ロシア沿海州のニコラエフスクという街がパルチザン(ゲリラ軍)の襲撃を受けた。

これによって、女性を含む700人にも及ぶ市民や日本軍守備隊が殺害された。
いわゆる尼港事件(にこう事件)である。
この事件は、日本の社会にとって大きな衝撃になった。

 

■ 海賊と言われた由縁は大輝丸事件

この事件によって、江連力一郎の復讐が始まる。
江連は、軍部や実業家などから資金を得て、大輝丸(740トン)という船を用意する。
ウィキペディアによると、当初『オホーツク海への砂金の採取』 という名目で、失業者や学生などど60人の乗組員を集めたとされている。

大輝丸は小樽を出航したのち、途中、進路を変え、その後ロシア船を襲い乗組員を殺害(資料によると、甲板に並べて首を切ったと書かれてました)、船荷を強奪、(船に積んでいるものをかっさらった)。
まさに、海賊となったのだった。

■ 軽川(現在の札幌市手稲)に潜伏

小樽に帰港した江連だったが、乗組員の告発によって、警察は江連を『海賊』として全国に指名手配する。
そして、大正11年(1922)、手稲の光風舘(こうふうかん)に、愛人とその兄の3人でいる所を発見され、警察官の急襲を受け、軽川(現在のJR手稲駅)で逮捕された。

 

※光風舘は明治25年(1892)に開業した温泉旅館でした。
手稲の国道5号線から山の方(南)に少し登った所。
昔は、国道から光風舘までの道路は石畳、両側が桜並木になっていて、5月の桜の時期は、そりゃそりゃきれいだった・・・と、旦那さんが言っていました(歴史の生証人か?!)。
当時は、札幌の奥座敷と言われる定山渓温泉までの道のりがまだまだ大変な頃、手稲の温泉旅館だった光風舘はとても賑わっていたそうです。

 

昭和の初期には徳川喜久子(とくがわきくこ)姫(昭和5年に18歳で高松宮妃)が学生のころ、夏休みをここで過ごされたそうです。
それだけ、立派な旅館だったのでしょうね。
現在、光風舘は存在していません。

資料室に展示されていた光風舘の写真です。
ここに潜伏していたのか!
光風舘

 光風舘

光風舘
手稲区役所の歴史資料室、時間のあるときにそっと覗いてみると、へ〜とか、ほ〜とか思えるものがあって、けっこうおもしいよ。

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