北海道・札幌発・だべさ通信5

1万2千人の住む町が消えた手稲鉱山の残した2つのもの

手稲鉱山行きJRバス
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あ、手稲鉱山行きのバス。私にとっては懐かしい、子どもの頃にタイムスリップさせてくれるタイムマシンのバス。
国道5号線を小樽方向に向かって手稲町を通り過ぎ、少ししてから山の方に左折、終点の手稲鉱山は当時1万2千人以上の人が暮らし、東洋一と言われた手稲鉱山があった所です。
そこは鉱山に働く人達が多く住んでいた『宮町』地区の入り口にあたるところで、学校の裏手にあたります。
現在『宮町』地区へは人が勝手に入る事はできず、立ち入り禁止になっています。
鉱山はもうないけれど、『手稲鉱山』という名前だけが残っているんですね。

 

手稲鉱山の歴史のこと


本を読んだり、自分が当時の大人から聞いた話をご紹介しますね。

明治の手稲山。青森からやって来た鳥谷部弥平治さんという人が、散歩の途中で見つけたものは金鉱石。
「ここには金があるぞ!」平治さんはがんばって採掘しようとしましたが、個人で山を採掘するなんて事業は、とてもできませんました。

 

昭和に入ると、山は三菱鉱業が運営する事になりました。
手稲鉱山からは金、銀、銅といった鉱物がどんどん産出されたので、何もなかった山にはどんどんと人が住み始め、住宅はもちろん、病院、学校、交番ができて、映画館は超満員! この地域だけで12,500人もの人達が住んでいたそうです。
小学校は人数が多過ぎて、今では考えられないけど午前の部と午後の部の2部制だったんですって。
このことは、当時の大人達からよく聞いていました。

こうして手稲鉱山は、東洋一の規模の鉱山になりました。

 

 

私が小学校に通い始めたころには、宮町地区に住む人はすでに減っていて、各学年は1クラスずつになっていました。私のクラスは25人程度。
宮町にあった映画館だったという建物が残っていたけど、すでに閉館して随分すぎているようでした。

学校は幼稚園と小学校・中学校は同じ建物。当時 中学校のなかった手稲山口地区からも生徒が集まったので、中学だけは2クラスずつありました。
海が近い山口から手稲鉱山までの距離は、グーグルに聞いてみたところ4.5キロですって。山口の子ども達はよく頑張って通っていましたね。

 

 

私が住んでいた場所は、『滝見町』(今でも??)と言われていて、学校の下あたり、星置の滝のすぐ前のところです。
鉱山関係の人達が多くくらしていた「宮町』地区は、学校から上に広がっていました。

 

手稲の『よもやま話』という本に載っていた当時の地図に、文字を付け加えてみました。
学校から上が宮町地区。
薄い紫色の部分には友達が何人もいたので行った事がありますが、それよりも上の地域(濃い紫部分)には行った事がなかったので、このとき住宅があったかどうかはわかりません。

手稲鉱山付近の地図

 

 

選鉱所跡

 

そして山は昭和46年に閉山。
この要塞のような建物は当時の星置選鉱所の跡です。
国道5号線の札幌-小樽間ので手稲を通る時に見る事ができます。
道路、風景が変わっても、この建物だけが、当時のまんま、残っています。

 

心霊スポットとかに登場しているようですが、無断で入る事は禁止されています。
建物がとても古いので、崩れたりしたら大変!
幽霊見たさに行ってもし事故が起きたら、自分が幽霊になっちゃいますからね。

手稲鉱山

現在、ここには誰もいないかというと、そうではありません。
数年前『鉱山跡見学会』がありまして見に行った事がありました。
手稲鉱山はすでに廃鉱になっているのですが、今も数人の職員さんがいて、坑道跡からしみ出てくる有害物質の混じった水を中和する作業をしています。

 

「水をきれいにして、流しでいるんですよ」という説明に、なんとなく安心。
でも閉山になった鉱山は、その作業をいつまで続けるのでしょうか。


 

その後、鉱山の事に詳しい方に会う機会があり、その事を聞いてみたんです。
するとこんな答えが。

「鉱山は、自然界では起こらない長い大きな穴を掘って鉱石を掘り出すでしょ、そこが問題なんです。
割れた鉱石の断面が空気に触れると、化学反応が起って硫酸系の毒が作られてしまいます。そして しみ込んだ雨水が、その毒を含んで外に出るようになる。
普通、鉱山が閉山すると、鉱石が空気に触れないように水没させたりするのですが、完全にはできません。だから閉山後も、地球が続く限り、いつ終わるとも言えない時間を、それに費やさなければならないのです」

どこの鉱山にもあるんですか?

「勿論そうですよ、鉱山という仕事はね、わりに合わないんですよ」

 


地球は大丈夫かなあ?あの排水の処理は、無限に続けられるのか?
車も冷蔵庫も、テレビも自転車も、みんな金属。
今ある金属を完全にリサイクルできたらいいですね。

 

手稲石のこと


『手稲石』という石があります。
手稲にも国際鉱物学会連合でちゃんと認定されている世界の鉱物があったのだ!
手稲石は、マグマが岩石の割れ目を流れた時にテルルという物質と銅とが変質し・・・
(私にはちょっと難しいので、調べてわかったことを下記に載せました)
とにかく、珍しい石なのね。

こちらは、北大の博物館で見つけた手稲石。
手稲石

こちらは、西区にある石の博物館で見た手稲石。
手稲石


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世界中には3600種類以上の鉱物があるそうですが、『手稲石』は1936年に手稲鉱山で世界で最初に札幌から発見された珍しい鉱石。


この鉱物はテルル(Te)という酸化物と銅が結合して出来たもので、鮮やかな青色が特徴です。

普通の岩石に含まれるテルルが、平均0,0000002%なのに比べて、手稲石には46%も含まれている。
明治中期から開発された手稲鉱山からは、30種類以上の鉱物が掘り出された。
手稲鉱山が閉山された現在、手稲石はとても貴重なものになっている。

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聞いた話だけれど、今でも星置川では砂金が採れるんだけど、採れる量が割に合わないだけだとか。

金や銀などの鉱物は、確かに私たちの生活を確かに豊かにしてくれたけれど、そのことと引き換えに、子どもの子どもの、その先のずーっと先の子ども達の時代までも、鉱山のあと始末を続けさせなければならないなんて悲しい。
人間がつけた地球の傷、いつか人間が治す事ができればいいですね。

手稲鉱山行きJRバス


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2 Comments

  1. くにまる

    こんにちは!そこにあった幼稚園に、路線バスで通園していました。星置の滝は何年たっても、目に焼き付いています。ルカ病院?ってありませんでしたか?
    そう言えば子供のころ、廃坑の近くを通りました。まるで、ローマ帝国の遺跡をみているような気持ちになった記憶があります。
    「手稲石」恥ずかしながら始めて知りました。勉強になりました。
    画像にある坂道の駅通りは、いつも歩いていました。

    Reply
  2. ぽぷら (Post author)

    くにまるさんへ
    こんにちは。
    手稲神社の幼稚園ですね。旦那さんもこの幼稚園だったそうです。今でも時々、園歌を歌ってますよ。私が、「それって、『♪赤いベベ着たかわいい金魚』のメロディみたい」って言ったら、「あれ?そういえばそうだなあ」って言って笑った事ありました。
    ルカ病院は、現在イムスという病院になっています。場所もそのままです。
    手稲石は、私も大人になるまで知りませんでした。『手稲』という名前がついている事がうれしいですね。

    Reply

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