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JR手稲駅の広場『あいくる』を通ったら、1972年に開催された、なっつかしい札幌オリンピックのポスターが展示されていました。
やはり見ている人は私と同年代か、それより年配の方が多いようです。
1972年といえば、年が明ければ43年も前の事だもね。
手稲山では、スキー競技の回転、大回転、滑降、ボブスレーなど、札幌オリンピックの沢山の競技が行われ、当時の聖火台は今でも丘の上に立っています。
札幌オリンピックが開催される前の年には、プレオリンピックというのがありました。
たしか中学校の時だと思ったけど、その大会の男子大回転を見学する授業がありました。
転がりそうな急な斜面をシュプールを描きながら、外国人選手が次々と滑り降りてきます。
カーブでは、しなやかな膝がスキーを美しく切り替え、シュッシュッと雪を削ります。
ゴールでは、スキーを横滑りさせながら、ややもすると、見ている私達の顔を雪煙でなでるくらいの近くで止まったりもします。
栗色の髪が帽子の下からのぞいていて、ゴーグルを外すと、今まで見た事もないブルーの瞳。
目をまん丸くしている私に(と信じている)向かってニッコリ微笑んだりするもんだから、花も恥じらう乙女はもうドッキリでございました。
そんな事を考えながら展示物を見ていると、買い物袋を下げた60代とおぼしき女性が「私もこの頃は若かったんだけどねえ」と私に話しかけました。
”ええ、私もこの頃は若かったです” ほほほ・・
このとき、『銀盤の妖精』とか『札幌の恋人』と呼ばれた美しきフィギュアスケーターのジャネットリン選手がいました。
あれから43年。ジャネットリンも同じ時間を過ごしているのですよ。
たしか、笑顔の変わらぬお母さんになっていると聞きました。
外見は変わりましたが、私だってほら、今日も銀盤の雪かき主婦よ。
大倉山ジャンプ台ができた当時の写真もありました。
手稲郷土史研究会?の資料展示なんですね
私の父もこうゆうの好きなほうで
地元の古くからの歴史を紐解きつつ まだ見ぬ世界の人たちや 知っている方々にも 思い出を蘇らせようと?こういった?郷土愛って いいものですよね
今日は久々の晴れ間?雪かき朝だけかもです?
すみれさんへ
わたしもね、郷土史が好きです。
どの町にも沢山の物語があって、先人の苦労を知る事ができると、その町が、とたんに好きになります。
来年も、新しい町の発見ができたらいいなあと思っています。